私たちは、人の好き嫌いを実に単純な理由で決めているということを、まったく気づいていないことが多いものです。講師から、相談を受けることの中で、相手を固定観念で観ていることで、多くの問題にぶつかっていることが実に多いのです。人間の言葉の反応は、ほとんどの場合、その人間の繰り返しの反応によって癖になっているものであって、その人間の奥深くにあるものとは違っているのです。
私は、幼い頃、どうしても周りの人間に素直に心を解放することが出来ませんでした。大人に対してもそうですが、友達に対しても同じような感覚を持っていました。当時の自分を振り返ると、周りに自分自身を認めてほしいと願っていたと思います。それにも関わらず、自分の側の考えを素直に修正するのではなく、意に反したひねくれた言葉をまき散らし、自分が望む言葉をかけてもらえないことに怒りを感じて、もっとひねくれた言葉を返し続け、周囲を敵にしておりました。
心のうちは、劣等感にさいなまれ、それを克服したいと、奥深いところで望んでいました。しかし、周りから固定されてしまった自分に対する悪いイメージを払拭することが出来ずに、どんどん、追い込まれていっていました。とても長い間、その状態に陥ったまま、自分に自信を持てずに苦しんでいたことを記憶しております。
その考えのもとは、自分は正しいというところにあったため、常に人から受け入れられない不満足感でいっぱいだったのです。幼い頃の私は、相手から暖かい反応を返して欲しいと望んでいるのに、どこか後ろ向きでマイナスの言葉だけを口から出すことが癖となっていたのだと思います。
実は、私は幼いころに感じていた周りに対する違和感のことを思い出したのは、教室を始めて随分たってからのことです。子供たちの様子を観ていて、あるころから分析してみることが出来るようになったのです。
その当時に、もし自分自身を振り返ることが出来たのであれば、周りの人間も、私自身を受け入れてくれたかもしれません。しかし、私のような状態に追い込まれた場合、自分でそこから立ち直るのは不可能かもしれないと思います。自己反省するのには、誰かの助けがなければとても難しいのです。追い込まれたという表現は正しくないかもしれませんが。確かに私自身が、自己反省するべきであったからです。
この子はこんな子であると決めてしまうと、ほとんどの場合、その固定化したイメージを変えることが出来ません。そのイメージのもととなるのは、相手が出す言葉の表面だけによることがほとんどです。
同じことをしても、この子は許せるのに、この子は許せないということを決めています。その違いは、とても単純な相手の反応が、自分に好ましいか好ましくないかなのです。
「この子はとてもなげやりで、向上心がほとんど見受けられません」と言われたら、たぶん、その子は本当は自分自身を向上させたいと望んでいるのでしょう。
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